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大浦天主堂内では、「コルベ神父特別展示」を見てきました。

コルベ神父はポーランドからやってきて
長崎で宣教活動や孤児院の設立など、6年間滞在しました。
やがて経営資金が苦しくなり、資金集めのため
一度祖国ポーランドに戻るのですが
その時祖国で危険人物とナチス軍にみなされ捕らえられ、
やがてアウシュビッツの収容所に送られます。

1941年、収容所から脱走者が出るという事件が起こり
見せしめのために、収容所から無作為に10名が
餓死刑に処せられることになりました。
その中のひとりはおびえて泣き始めました。
コルベ神父は、そこでその男の身代わりを申し出たのです。

「私は神父で、妻も子もいません。死んでも悲しむ者もいません。
しかしその人には妻も子もいます。私を飢餓室へ送って下さい。」
2週間以上も牢屋に入れられたコルベ神父は
他の受刑者を励ましつづけ、最後の一人を看取った後
ナチスに石灰酸の注射を打たれ、亡くなりました。

コルベ神父のこの話は、高校の聖書の時間に聞いて
とても印象に残っていたのですが
彼が長崎にいた、ということはこの旅行を計画した時に
初めて知ったのです。

そのコルベ神父の記念堂が、大浦天主堂のそばにあるのです!

P2130191.jpg


ここにはコルベ神父の使っていた暖炉が残されています。
それも、遠藤周作さんの強い願いから実現したもの。
以下、「遠藤周作と歩く『長崎巡礼』」(新潮社)から抜粋。

81年、遠藤は雑草が茂るのみのこの地を訪れ
野外に放置されたままの暖炉を見て修道士に訴えた。
「大浦天主堂にはたくさんの修学旅行生が来ますね。
100人いたとしたら98人は他のことを考えても
1人か2人の学生はコルベ神父の話を聞いて
感動するかもしれない。何とか暖炉を保存して
見学のコースにしてほしい」と。


そしてその地を訪ねたわけですが・・・・・閉まっています
営業時間中のハズですが・・・・閉まっていますよ狐狸庵先生。。
何度か訪ねてみたのですが、結局中を見学することは出来ませんでした。

大浦天主堂内では、コルベ神父の活動や死後のことなどが展示されていましたが
1982年、コルベ神父が「聖人」に列せられた時の新聞記事が
とても心に残りました。
その式典に、命を救ってもらったガヨヴィニチェク氏も同席していましたが
ヨハネ・パウロ2世は彼を抱きしめて、こう言ったそうです。
「もう苦しまなくていいのです。
 あなたのおかげで、コルベ神父の行いが世界の人々に知られたのですから」

コルベ神父の行動にばかり目がいってしまうのですが
救ってもらったガヨヴィニチェクさんも、ずっと苦しんでいたんだ・・・
彼はその後、コルベ神父の話を伝えるために
世界各地を廻り、94歳で亡くなったそうです。

遠藤周作さんは、コルベ神父のこの行動を「奇跡」と書いています。
「愛」の力が起こした「本当の奇跡」だと。

「友のために自分の命を捨てる。これに勝る大きな愛はない」(ヨハネ15,13)

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